房総半島南部の地質 −古生物の部屋

房総半島南部の地質

はじめに

2002年12月7日〜8日に”野外調査実習”という授業に参加してきました.行った場所は房総南部です.観察したものは,元禄地震や関東大震災のときの隆起や巴川や平久里川で観察できる8000年くらい前の地震によって発生した津波堆積物,野島崎で観察できる海溝付近の堆積物,地震によって隆起した6000年くらい前のサンゴ礁(沼サンゴ)などです.

この調査実習は,1日目に観察し,夜にディスカッションをして,2日目に再び同じ場所に行くというスタイルで行われました.このスタイルは非常に良く,理解の深まるスタイルだと感じました.

1.地震による隆起
2.海溝付近の堆積物
3.津波堆積物
4.沼サンゴ
ミーティング&飲み会&集合写真
位置情報 (平久里川と沼サンゴ以外の位置情報は一番下にあります.)

1.地震による隆起

地震による隆起の力をまざまざと見せつけられるところに行って来ました.

場所は,房総半島の千倉の南にある平磯という場所です.

通常,波の影響をもっとも受ける中潮位のときに波をかぶり,潮が引いたときに乾くという作用を長年繰り返すと,岩がもろくなり,平らに浸食されます.この浸食面をベンチと呼びます.

右の写真でわかるとおり,ここでは現在のベンチとは違うもう一つの平坦面をみることができます.もうひとつの平坦面とは,つまり,大正地震(関東大震災,1923年)によって隆起した,当時のベンチなのです.

このベンチが隆起したという証拠は,地層の平坦面があると言うことだけではありません.ゴカイの生管であるヤッコカンザシの化石(新しいけど)が今の潮位よりも高いところにあるのです.ちなみに右の写真は,野島崎で撮影したものです.

これは,平磯で撮影したもの.風化が激しいのか,大分少なくなっているが,明らかに現在の潮位よりも高いところに存在する.

今回の我々の測定の結果,約1.3mの隆起があることがわかった(ちなみに,正解は1.1m隆起.まあ,誤差の範囲でしょう).

今回は,こことは別に布良という平磯よりももうちょっと西側でも同じように測定したのですが,そこでは,1.9mでした.つまり西側の方が隆起量が大きくなります.

実際にどうやって測定するかというと,一人がポール(スタッフと言うらしい)というでっかい定規をもってまっすぐに立ち,もう一人が水準器付きの望遠鏡(ハンドレベル)でその定規の目盛りを読みます.すると,その目盛りは,測定者の目の高さを表しているのですが,これをちょっとずつ位置を変えてつなぎ合わせると,なんと隆起量がでてくるのです.

ちなみに右の写真は,関東大震災よりももっと古い元禄地震(1703年)のときの隆起量をもとめようとしているところです.

畑の中にも露出があり,この露出面が平らなのです.これが当時の中潮位に相当するわけです.と思ったのですが,夜のミーティングによるディスカッションの結果,これはベンチよりも下にできる海食台の面だということがわかりました.

本当のベンチまで大分惜しいところまで行っていたのです.右の写真で人々が立っている面は,上で説明した海食台なのですが,その先の坂(露頭)の上が当時のベンチです.

残念ながら,この日の我々には海の中の知識が無く,正解を測定することはできませんでした.

茅根・吉川(1986),地理学評論,59A,18-36,房総半島南東岸における現成・離水浸食海岸地形の比較研究

どういうことかの説明します.現在の岩礁海岸を潜ってみたのが右の図(クリックすると拡大できます)です.第3図を見ると,bmと書かれている区間が現在のベンチです.それで,沖の方にいくと,ちょっと盛り上がりの見せる部分があり,それより沖は海食台になっています.上で我々が見ていたのは,この海食台だったわけです.

正確に元禄地震のときの隆起量を測定すると6.7mになります(正確な隆起量は関東大震災で隆起した分を引くので,5.4mになります).つまり元禄地震の時の方が,関東大震災の隆起量よりも大きかったことになります.

2.海溝付近の堆積物

次は野島崎周辺に分布する海溝付近の堆積物です.海溝付近といっても,それほど海溝軸に近かった訳ではありませんが,それでも水深2000mぐらいのところに堆積したものだと言われています.

この付近の地層は,走向がN20°〜30°E,傾斜が30°Wくらいで安定していました.

岩相は主として砂岩と泥岩,頁岩との互層です.

地層には結構ひび割れみたいなものや盛り上がった線などが観察できます.これらは,堆積後に水の吐きでた脱水のあとだと考えられます.たまに,そのようなひび割れに鉱物が晶出したあとが観察できますが,これは,その水に溶けていた成分がしみ出た結果だと考えられます.

この付近にはタービダイト(混濁流によって形成された堆積物)と呼ばれる堆積構造を示すものが多いです.このタービダイトは海底における土石流のようなもので,海底斜面などに堆積したものが,地震などによって一気に滑り落ちて堆積した結果にできるものです.このような堆積物は,通常上方細粒化といって,地層の上になるほど細かい粒子が堆積することが知られています.

しかし,右の写真では上方に行くほど粗粒になっていくのがわかります.これは,通常よりも高密度な堆積物の流れがあり,大きな粒子ほど多くの粒子とぶつかって上に上にと押しやられた結果に生じたものだと考えられます.

右の写真は断層です.これは,それほど大きな断層ではありませんが,逆断層と呼ばれるものです.逆断層は海溝付近に良く発生する種類の断層です.

このようにいくつかの証拠を観察し,また,これまでの微化石の研究例から,ここで観察できる地層は海溝付近の約2000mくらいのところに堆積したものだそうだ.

3.津波堆積物

さて,今度は津波によって形成された堆積物だ.今回の実習で行ったところは,巴川とへ平久里川の2カ所に行った.右の写真は平久里川のものだ.

下部からウチムラサキガイという二枚貝が住んでいた泥底があり,その上に自生的なカキ密集層層,他生的なカキ密集層,そしてウラカガミという二枚貝の生息する砂質泥層と重なっている.順に各層を見ていこう.

最下位の泥層である.ここには,右の写真の様なウチムラサキガイが生息していた.

ところかしこに穴があいているのだが,いずれもウチムラサキガイやその他の生物によってあけられた穴であろう.

この泥は縄文時代に起きた海進期に堆積した地層である.このような海進期に堆積した堆積物は,堆積に非常に時間がかかっており,化石密集層を形成することが知られている.

自生的なカキ密集層だ.カキは合弁で,死んでからほとんど動かされていないことがわかる.

これは,他生的なカキの密集層.カキの殻は離弁(片殻しか存在しないこと)で,どこからか運ばれてきたサンゴのブロックも存在する.

この層は,まさに津波によって堆積したと考えられる地層です.

これは,カキ密集層に入っていたサンゴの化石.どこからか運ばれてきたものであろう.

右の写真は,カキ密集層の上の砂質泥岩層で,ウラカガミという二枚貝が生息していた.このウラカガミは,合弁で,生息姿勢をある程度保っているのもあるが,離弁の殻の密集層もあり,決して静穏的な環境で堆積したものではないが,極端にかき乱されたとは考えにくい.ちょっと解釈に迷う地層である.

ちょっと場所は変わって巴川である.ここにも津波堆積物があるのだが,ここには,少なくとも4回分の津波の記録が残されている.年代は8000年くらい前から6000年くらい前である.

右の写真のだんだんになっているそれぞれが一回の津波堆積物である.

一つの津波堆積物の中を見てみると,下部は砂で,何枚もの葉裏が見え,これらは斜交している(斜交層理).これは,陸への流れと海の流れの2つの流れがあったものと考えられる.つまり,1回の津波でも第一波,第二波というように何回もの波がきたことを示している.

また,ところどころに材を含み,陸源の供給物があったことが示されている.

1回の津波堆積物の上部は泥に変わり,これは,津波があったあとの内湾などでの静穏な環境を示している.それは,合弁のカガミガイが見つかることからも支持される.これらのカガミガイが生息していたところに,再び津波がやってきて,彼らは生き埋めになったのであろう.

これは合弁のカガミガイ.こいつは生息姿勢を保っていると考えられるが,ほかのはてんでバラバラの方向を向いていることもあった.これらは急激に堆積した津波堆積物から逃れようとしてる途中で息絶えたのかもしれない.下のは近藤(1999)でまとめられたいろいろな場面での貝の姿勢である.

近藤(1999):地質学論集,第54号,85-98, 急速埋没によって形成されたセンサス化石群とその認定:内生二枚貝類の「逆転姿勢」を主な手がかりとして

4.沼サンゴ

次は沼サンゴである.多くの人が勘違いしているが,沼サンゴという種類のサンゴがいるわけではない.実は沼サンゴというのは,沼層という地層から産出するサンゴのことを言うのである.実際には,サンゴはキクメイシサンゴの仲間が非常に多い.右の写真もキクメイシサンゴの仲間である.

これは,枝状に延びたサンゴである.沼サンゴには,約70種類のサンゴがいる.そして,現在の館山を含む東京湾には約35種とほぼ半分しかいない.

数千年の間にこんなにも数を減らしてしまった.これは,当時のこの地域が温暖であったという証拠である.

ミーティング&飲み会&集合写真

夜のミーティング&飲み会風景です.今回の巡検は,一日目に行った場所に,再び二日目にも行くというスタイルだったので,夜のミーティングでは,一日目に見たものから,いったい何を見たのかを議論した.そして,それを次の日に確かめに行ったわけである.

下は飲み会の写真.東京水産大学の臨海実験所を使わせていただいたのだが,水産大の学生さん3人を交えて,なんと朝の6時まで!!飲み会をやった.2日目がきつかったことは言うまでもない・・・・.

位置情報